昭和9年6月5日 発行 より抜粋
元来盛岡は、昔から紫草の有名な産地であった。故事類苑に引用された、諸問屋再興調寛政8辰年8月15日の文書を見ると、其の中に「奥州南部より出候紫根を山紫根と唱え云々」と記してあり、更に東京附近にて出た紫根については、「地廻り近在にて作出し候を里紫根と唱え云々」と記している。現在紫根染をやっている家は、全国を通じて僅かに数軒しかないのであるが、その中最も盛にやっているのは、盛岡の糸治紫草園である。同家の南部紫根染解説書には、
『岩手むらさき』ノ名、鎌倉時代己ニ天下ニ周知セラレタル事、当時ノ文書ニ明ラカナリ。300年前、南部公盛岡治城以来、国産トシテ特ニ之ガ保護奨励ニ力ヲ盡サレタルニヨリ、終ニ南部紫ヲ以テ称セラル。糸治紫草園ハ藩政時代ヨリ国産トシテ『本紫根絞染』・『本茜絞染』等ノ制作維持ニ努メ来リシガ、更ニ其研究奨励ノ為メ、大正5年11月『南部紫根染研究所』ヲ設立シテ益々優良品ノ製出ニ努力シ、以テ今日ニ現存セリ。
と書かれている。 【p.155】