草紫堂
盛岡市中央公民館、上の橋より2本上流の、国道4号線にかかる東大橋のたもとにあります。ここは、藩政時代の藩主・南部重信(1664〜1691)の時代、城内で用いる薬草を栽培していた「御薬園」でした。その後藩校が設置され、明治41(1908)年には南部家別邸として生まれ変わり、戦後には盛岡市の管理となって盛岡市、南部氏の歴史や重要文化財を保存してくれています。
ここの入口左側に、旧中村家住宅、という古い建物が保存されています。この建物が、藩政時代に南部藩の保護を受け、南部紫根染を一手に商っていた老舗「糸屋」の建物を移築したものです。

この旧中村家住宅の説明を盛岡市中央公民館パンフレットより引用させていただきます。
中村家は、「糸屋」または「糸治」と呼ばれた城下町盛岡でも指折りの大きな商家で、呉服・古着などを主に商っていました。
初代は、岩手県の宮守村の出身で天明2年(1782)から盛岡で商売をはじめ、二代目のときから「糸屋」を称するようになりました。その後、盛岡藩の特産である紫根染を一手に商うなどして発展しました。
建物は、たびたび改修が行なわれましたが、現在の主屋は文久元年(1861)に造られたものです。また、土蔵は明治期の建築ですが、主屋と機能的にも景観のうえからも切り離せないものとして、同時に重要文化財に指定されました。
建物は、二階が発達していたり、戸棚や押入れが多く造られるなど、江戸時代末期の特色がよく残されています。増改築の多い商家が原形を留めている例は極めて珍しく、この建物も重要文化財の商家としては、東北では数少ないものの一つです。
盛岡市では、昭和46年(1971)に元の所有者である中村七三氏から建物とともに文献や家具などの寄贈を受けて、文化庁に調査を依頼、同年12月に重要文化財の指定を受けました。移築復元工事は、昭和47年4月から49年3月にかけて行われ、防災工事も同時に行われました。旧所在地 盛岡市南大通二丁目8番5号(旧町名は新穀町) 管理者 盛岡市教育委員会
【盛岡市中央公民館パンフレットより引用】
南部紫根染研究所は、県の主唱により、糸治の中村治兵衛氏が開設したもので、草紫堂初代 藤田謙が主任技師として赴任いたしました。
また、盛岡の歴史を語る会が企画した書籍『もりおか物語』(全10集)の第一集「惣門かいわい」には、中村七三氏が語られた「糸屋のこと」という文章が21ページにおよび掲載されています(p.p.126-146)。ここには、旧中村家住宅が重要文化財として盛岡市の管理となるまでの話や、昔の防火設備や訓練について、紫根染のことについてが、中村七三氏の語りによって描かれています。