もみの木会の由来 ‥‥‥‥‥‥ 執事 ヨハネ金子昭三

  盛岡聖公会に「もみの木会」が発足してから早50年を過ぎようとしています。

  当時はパウロ村上秀久司祭の時代でもありました。栄養不足のせいもあったと思いますが若者の結核療養者が多く居りました。

  かく云う私も療養所のサークル聖書研究会で主イエス様を知り、退院後に教会を訪ねてクリスチャンになった一人であります。教会には信仰の先輩と共に療養の先輩も何人かおられまして、同病相あわれむとでも申しましょうか、新しい生命を与えられた友として教会にご奉仕をしていた次第です。その中には今も「もみの木会」中核として活躍して下さっているグレース大森みやさんが居られます。

  当時の司祭は、殊に宣教意欲が盛んで少しでも時間があると信徒訪問、病院訪問、療養所の訪問を行なっておられました。私たちはそのお伴をしてご奉仕に明け暮れていたのであります。司祭の積極的行動は、もちろん福音書の中の主イエス様のガリラヤ伝道にならったものとは思いますが、若くして召されていった息子さん、娘さんへの想いがあったのかもしれません。優秀で有為の若者が早く召されていったのであります。

 「もみの木会」の命名については、司祭が定年退職をなされて厨川の幼稚園の園長宅に移られ、そこで例会を持った時のことだったと思います。後任のウィリアム村上達夫司祭の提案があったと思いますが、いつまでも緑の青々としたもみの木のようにとの願いを込めて全員一致で決めたような気がいたします。

  あれから幾星霜多くの方々が賛同してご奉仕に加わり、又召されていった方々もおられますが、この世で良き働きをなされた方々の思い出は尽きることはありません。

  歴代の司祭方にも良いご指導とお世話を頂いたことは勿論のことです。今では教会になくてはならないこの活動は、毎月の例会で礼拝の後、昼食を頂き、聖書の勉強と各自の報告、お手紙書きなどを実施しております。  (教区報「あけぼの」2005年9月号から)
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